プロフィール

橘 波那(たちばな はな)ともうします。

”生きづらさ”を抱えて半世紀。繰り返す問題。それでも必死にひたすら走り続け、”まだまだできる””もっとやらなきゃ私じゃない!”ぐらいの勢いで突っ走ってきた。

人生における本当の転機となったケイコ先生との出会い

そんな私もとうとう体が悲鳴をあげ、2023年春、体を動かしたくても動かせないという私史上前代未聞の事態に遭遇し、”もうこれまでか!!!”と、心も打ちひしがれた。うつ状態とはこれか!とまでに、気持ちが落ち込み、死ぬことも脳裏を横切りどうしようもなくなった時、一人の女性(ケイコ先生)に出会い、心を救われる。

ケイコ先生はうつ状態の私に”愛”をおしえてくれた人です。


ケイコ先生と出会ったときの私は、離婚し、子供の事、お金の事、将来の事など不安がのしかかってきていて、考えることすべてが闇に包まれていて、心が深い暗いそして真っ暗な闇に飲み込まれていくような感覚に襲われ、怖くて怖くて、死という言葉も頭をよぎり、どうしようもない状態でした。

そんな状態の私にケイコ先生は、

愛は他人から与えてもらうだけではなく、自分で自分を愛することで、心を満たせるんだよ!と教えてくれたました。

最初は、愛って何?みたいな感覚で、愛というものもあまりピンとこない感じでした。

そんな私に、「とにかく今はボーとして、当たり前にあるものに感謝して。太陽の光、木々、小鳥のさえずり、身の回りの物….そして、自分を抱きしめて、頭をよしよしして」と、おっしゃっていました。

最初はあまり理解できていなかったのですが、なぜか先生の言葉は私を落ち着けてくれました。

闇に飲み込まれていた心が、なぜか光に照らされているような感覚を感じました。

ケイコ先生から、どん底の自分の心の救い方を教わり闇から抜け出したものの、根本的な自分の問題からはまだ抜け出せず、アファメーションしながらなんとか心を保ち生きながらえていたところ、カウンセラーの根本師匠のお弟子さん制度の募集を運よく見つけました。(以前から根本師匠の事は知っていて、カウンセリングをうけてみたい!え!お弟子さん制度?そんなのあるの?と気になっていたのですが、その頃はお金もない、時間もない状態だったのです。)

ところが、不思議なことにお金も時間もどうにかなり、お弟子さん制度にエントリーできる条件がそろい、根本裕幸師匠の8期のお弟子になることができました。

私って本当にラッキーですよね!

念願の第8期根本師匠のお弟子さんに‼

というわけで、根本師匠の下でカウンセラーのもとで切磋琢磨しています。

カウンセリングと、大好きなアロマテラピーと、潜在意識まで届けるアファメーションを掛け合わせて、

”自分らしく生きる”

”自分をもっと好きになる”

”自分をもっと信頼できる”

”もっと自由に生きる”

を意識して奮闘中。

生きずらい自分を手放して、もっと軽やかに、もっと自由に生きてゆきたい!

そんな思いで、根本裕幸師匠のお弟子になりました。

私の生きづらさのルーツはどこに⁉

ところで、私の生きづらさはいつから始まったのでしょうか?

それを突き詰めたとき、母親にたどりつきました。

幼いころから、母の事は好きだけど、
・急に雷のように怒られる
・言葉で傷けられる
・何をしても(例えば家事を手伝うなど)、できていないことを見つけて罵倒される
・安心・安全な関係ではない


など

母の言動にずいぶん傷つけられてきました。

だから、私はいつの間にか自分は
・邪魔な存在
・自分は馬鹿だ
・自分は価値がない
・大した人間じゃない
・大切にされなくて当然だし、大切に扱わなくていい
・私なんて….

と思うようになっていました。

だから、他人の言動にすぐに傷つき、自信がなく、いつも隠れている存在でした。

だって、自分には価値がないと思っていたから….

そして、いつも火山のようにいつ噴火するかわからない母親を友人や周りの人に知られたくない!という気持ちもあり、いつも自分の家族、家族の一員である本当の自分を”隠そう”とするようになっていました。(無意識で)

私の生きづらさのルーツは、母子関係だとわかってきました。

武闘派女子に成長するまで

幼少期から安心して母に甘えることが出来ず、無価値観を膨らませ、依存を隠して自立を目指して自分をビシバシ鍛え上げて成長していきました。

ありがたいことに、中学、高校の時の友人がとても優しく温かい心の持ち主ばかりで私を支えてくれていました。だからか?! 完全に卑屈な人間にはならずに済んだのかな⁈と感謝なのですが、私が完全に無価値観人間にならずにすんだのかなぁと、感謝している今日この頃です。

こんな風に育った人間はどんな考えをする人間になると思いますか?

・私なんて!って常に思っているので、自信がなく恥ずかしがり屋
・自分の意見が言えない(私の意見は間違えている!かもと常に不安をもっている)
・人間関係を築くことが苦手
・自分が我慢したらうまくいく。
・自分の人生についていい加減に考える
・異性と真剣なお付き合いをすることができない
・自分のもの、自分がもっている資格、自分が手に入れたものは価値がないと思っている
・人と比較して、自分は劣っていると思う
・他人のために犠牲になることが当たり前
・全力で頑張っていないと価値がない
・間違えたらだめ!

など

自分を大切にするという事は考えない、自分は人より劣っているから頑張っていないと意味がないと….

そして、私は他人から傷つけられることを恐れ、自分の心を守ろうと、自然な自分を隠して生きるようになっていきました。

外にいる時は、仮面をかぶって取り繕っている

友人・知人の気に入る答えを考え、自分の気持ちは無視

職場では、常に上司に怒られる(パワハラ)

心の中は、何をしたいのかわからない。情熱もない。情熱どころか、
”どうせできない” ”どうせ無理”と自分に思い、いいきかせてきたなぁと思うのです。

だから、

”自分は価値がない”を証明するような態度と出来事が起こっていました。

今から思うと”そらそうだ!”とわかるんだが、昔は全くそんな事わからず、ますます自分に厳しく、「そんな事ではだめだ!!”と自分にダメ出しし、更におしりをたたいていた。

頑張っているようで中身は空っぽという感覚もあった。

心の中心にぽっかりと大きな空洞がある感じだった!

心の中では、その穴を埋めたいよーと泣いている自分がいた。でも、どうやって埋めたらいいのか、全くわかっていなかった。

お寺に行ってお坊さんに説教してもらいたい!だれか、助けて!という気持ちになっていた。

心の中の大きな空洞を埋めようと、色んな宗教の集会にも行ってみた。

でも、しっくりくるものには出会えなかった。

イスラム教徒との出会い

イスラム教徒との出会いは、ある友人(その人はイスラム教徒だった)が私に教えてくれたのがきっかけだった。

幸いにも近くに日本で一番古いモスク(イスラム教の寺院)があった。
以前から、髭の濃いい外国人が沢山集まっていたしていたので気にはなっていたが、どんな場所なのかを知ろうともしなかったし、それほど興味ももっていなかったのだ。

友人に教えてもらってから、モスクで女性のための勉強会がある知り、恐る恐る訪れてみた。

1階は男性のお祈りや勉強の場所、2階は女性のみが入れるのお祈りと勉強の場所と、男女できっちりと分けられていた。

それが私がイスラム教を知る第一歩となった。

そして、そこから私のイスラム教の勉強が始まりました。
仕事終わりに、なぜか毎晩モスクに行きたくなり夜のお祈りを見たり、イマーム(寺院の先導者:お祈りをする時の導師で、イスラム教の教えを説く人)の家族、特に奥様と子供たちに会いに行っていました。

あの時はその場所にいくこと、居ることが私の心の安らぎでした。

素敵な人にもたくさん出会い、たくさんの事を教えてもらいました。

イスラム教ってなんか怖いとか厳しいイメージがあると思うのですが、実際は、とても思いやりの深い、そして、一生懸命で、情熱があり、おしゃべり好きな人々でした♡

そんな温かい触れ合いがあり、私はイスラム教徒になることを選択しました!

それまで、神様 なんてもの信じてこなかった私が、なぜか自然に心にはいってきました。神様の存在を心で感じていました。不思議な感覚でした。涙がぽろぽろと流れ、心が喜んでいるのを感じた体験でした。

こうして私はイスラム教徒になったのです。

イスラム教徒になったといっても、いきなりヒジャーブしたりはしませんでしたが。

イマームもイマームの奥さんも”あなたのタイミングでいいよ”とおっしゃってくれていたので♡

イスラム教徒になってから別に特別な事をし始めた(お祈りは始めましたが)というわけではなかったのですが、視界が開ける感覚がありました。少し、”自分を大切にしよう”と思えていたのかもしれません。

宗教って、神様助けて!って縋るものと思っていたのですが、その時の私の感覚からすると、縋るとはちがっていました。自分に対する信頼みたいなのが得れた感覚がありました。

自分の人生を生きてる!!

という感覚で、ぽっかり空いていた心の空洞が満たされていた感覚でした。

国際結婚

イスラム教徒になった私は、イマームの紹介で何人かの男性を紹介されました。

イスラム教では、お見合いが主流のようです。日本では、信頼できる人に、自分の結婚相手として紹介を依頼するようです。(自国だと、家族がお見合い相手を厳選して、娘に紹介する仕組みのようです。娘は自分の気に入る人と出会えるまで何人かとお見合いできるようですよ)

お見合いの話を聞いた時、とてもとても驚きました!そんなこと全然考えていなかったので。お金を貯めて、海外留学したいと思っていたので。(あの時、海外留学を選んでいたら、今とは違う人生だったのかもしれませんね)

で、いろいろあり、結局、イマームの紹介してくれた人と結婚しました。

結婚当時、彼は日本語も英語もほとんど話せない(母国語はアラビア語)、一方私は、アラビア語は話せないという状況でした!!

なんでこの二人が結婚しようと思ったのか⁉ 今でも謎ですが!!

また、結婚当時から、様々な問題は勃発していましたね~

彼は日本で法人を設立し、会社経営をしていました。簡単に言うと”社長さん”です

日本語ができなかったので、私と二人三脚で歩んでいた感じでした。外国サイドは彼、日本サイドは私 というように。

本当にたくさんの問題が次から次へと現れては、解決し、また、新たな問題が発生し、何度も危機を潜り抜けてました!

私たちすごいわ~
よく頑張ってたわ~

この経験は今でも貴重な経験です(アルハムドゥリッラー:アラビア語で神様ありがとうの意)

二人でめっちゃ頑張ってた時もあったんやな~って、改めて思います。

大変やったけど、やりがいもあったし、一つの事が解決していくたびに力になっている感覚もあったから、楽しんでいる自分もいたなぁ~

NPO法人として難民支援

元夫はシリア人でした。シリアでは2011年から内戦が始まり、毎日空爆や爆撃で多くの人々が亡くなり、住む場所も奪われ、国外に難民として逃げる人も多くいました。今でも内戦は続いています。

元夫の会社で働いていたスタッフの家族を日本に呼ぼうという動きがありました!(元夫 優しい!いいとこもあるじゃん♡)

という事で日本にシリア人の家族を難民として呼ぶことになり、日本に移住してきたシリア人の生活のサポート全般をしていました。最初は、サポートできる人がいなくて、付きっ切りで役所の手続き、子供の学校、幼稚園、勉強、奥様方の日本語の学習など様々なサポートをしていました。

世帯数が増えて、一人ではどうしようもなくなっていたのでUNHCR(国民難民弁務官)に協力してもらい様々な関係機関につないでもらうなどしてサポートを続けていました。

多くの人に助けられたおかげで多くのサポートができ感謝でいっぱいでした。

しかし、協力的ではない機関もあり、協力ではなく競争がおこり、そして最後には分断が起こりました。その分断からは何も生まれず苦い経験をしました。

私自身も、とても未熟だったなと痛感しています。もう少し、心が成長していたら、競争してくる機関の煽りにのらず、上手に協力する方向にもっていけてたのではないかと思います。

そして、元夫も私が多くの人とつながりを持つことを嫌い、私とシリア人との関係、私と関係機関との関係を切ろうと、交換条件ばかリを出してきて、つらい時期でもありました。

今となっては、つらいと同時に本当に良い経験をさせてもらったなぁと感謝の気持ちです。

競争からは何も生み出されないのです。

離婚

結局、結婚生活の面でも私は離婚という別れ、分断を選びました。

離婚して欲しいといったのは私から。

すごい疲れていたし、この人といてももう何もない、幸せはないと思ってしまったから。

死んだようにいきるのは嫌だ!と魂がさけびだしたから…

子育ての事、宗教の事、仕事の事、お金の事、すべてのことで分かり合えない問題があった。

この時誰かに相談できれば、状況を変えることが出来たのかもしれない。

でも、その時の私には誰にも相談できなかったし、誰も理解してくれないという思い込みがあった。

一時持っていた自分を結婚生活の中で、またいつの間にか失ってしまっていた。

二人の関係はもう修復不可能な状態にあっていたように思う。

勝ち負けどちらが正しい、を終始していて、どちらも歩み寄ろうとせずにいた。

子供たちも、宗教の事で雁字搦めにされていた。

この人から逃げたい しか思えなくなっていた。

で、結局、離婚という結論を選択した。

そして、現在

根本裕幸師匠のお弟子制度を修了して、早や6ヶ月がたちました。

お弟子の修業中は、様々な感情や思いが出てきて、人と自分を比較して落ち込んだり、師匠がなぜか怖く感じられたり、無価値観が強く出たりと苦しい期間でもありました。

修了後もいろんな感情がでてきたり、インナーチャイルドと向き合ったり、いろんな本を読んだり、別の講座をうけてみたりと、もがき、少しづつではあるけれども前進してきています。

そしてカウンセラーとして、クライアントさんに向き合い、クライアントさんの幸せを手に入れるために、クライアントさんが自身を愛し、軽やかに生きられるよう私にできることを全力でしていきたい!そんな気持ちでカウンセリングをしていきたいと思っています。

カウンセリングの先にあるもの

私は、ケイコ先生に初めて自分を愛することの大切さを教えていただきました。そして、根本裕幸師匠のお弟子さん制度で更に、自分の内面に向き合う事、その重要さ、そしてその先にある心の自由を学ばせていただきました。

その学びを自分に少しづつ、時間をかけて落とし込み、”自分への愛、信頼”の先に何があるのか?が分かってきました。

それをクライアントさんにも体験していただき、クライアントさん自身が自分を愛し、信頼することが出来たとき、幸せと心の安らぎを感じることができます。そして、クライアントさんが幸せを感じることで、軽やかに前進でき、無限の自由を手に入れることが出来ます。

また、クライアントさん自身が幸せになることで、さらにその方の大切な人も幸せにしてしまうという効果もあると信じています。

そういった、幸せの連鎖をつなげていくことで、もっと人と人は繋がれるのではないかなあと….そしたら、自然な形で安心安全な場所が広がっていくのではないかなと…

安心安全な場所(社会=人との繋がり)では、新しい楽しいことが生み出されていく。

”競争、勝負、正誤”の社会からは分断が生まれますが、

安心安全な社会からは、”自由”と”無限大の楽しい”がうみだされると信じています

アロマ・カウンセラー 橘 波那 より